WEBマーケティング 目標に向かって 11/1

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ)

大きな改善を望むならパラダイム転換

前記の演習から学ぶべき最も大切な教訓は、パラダイムシフト転換についてである。それは、「ああ、なるほど」と、違う解釈で絵が見られるようになる瞬間のことである。最初のイメージに束縛されていればいるほど、その瞬間、強烈な体験をすることになる。まるで頭の中に突然、光が差し込んでくるようなものだ。

「パラダイム転換」という言葉を始めい使ったのはトーマス・クーンという学者で、「科学革命の構造」という歴史的な著書の中でその言葉を紹介した。クーンはその本の中で、化学分野における大きな突破はすべて、過去の伝統旧来の考え、従来のパラダイムからの離脱に始まると主張している。

例えば、昔この宇宙については、エジプトの偉大な天文学者プトレマイオスの、地球が宇宙の中心であるとする「天動説」が広く信じられていた。しかし、コペルニクスが太陽を宇宙の中心に置く「地動説」を、多くの迫害に遭いつつも唱え続け、ついにはパラダイム転換をもたらした。その結果、突如あらゆることに、違う解釈がなされるようになったのである。

同様に、ニュートンが打ち出した物理学のモデルは規則正しいパラダイムであり、現在も工学分野の基礎になっている。しかし、それは部分的かつ不完全なものであった。その後、アインシュタインが相対性理論のパラダイムを打ち出し、科学界に大きな革新を起こした。それによって、自然現象の予測と説明の正確さは飛躍的に向上した。

また、病原菌の理論が打ち出されるまでは、出産の場で多くの母子が死亡していた。あるいは、戦場でも大きな外傷より小さなケガや病気で死亡する兵士がむしろ多かったのだが、その理由を説明できる人間はいなかった。しかし、病原菌が発見されたことで、全く新しいパラダイムができあがった。より正確な理解を得たことで、医学は著しい進歩を遂げたのであった。

アメリカ合衆国の設立もまた、ひとつのパラダイム転換の結果であった。何世紀にもわたり、政治の伝統的な感が売型は王政王権神授説であった。ところが、そこにパラダイム転換がなされた。つまり、「人民の、人民による、人民のための政治」である。立憲民主主義国家が設立され、人間の持つ大きな潜在能力が発揮され、人々は歴史上かつてないほどの生活、自由、影響力、そして希望を手にすることができたのである。

パラダイム転換は、必ずしも良い方向転換だけとは限らない。すでに述べていたように人格主義から個性主義へのパラダイム転換は、真の成功や幸福を生み出す基本的な原則から私たちを遠ざける結果となった。

しかし、良い方向であろうがなかろうが、一瞬にして起ころうが徐々に起ころうが、パラダイム転換によって、ある一つのものの見方が別の見方へと移行し、そしてその転換は大きな変化の原動力となる。正しくても間違っていても、私たちのパラダイムこそが私たちの行動力の源であり、やがては人間関係のあり方まで決めてしまうのである。

 

ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で経験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は、みな静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人はめを閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。

そこにひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちはといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対しても何もしようとはしなかった。

私はいら立ちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」と言ってみた。

彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事した。

「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと・・・。たった今病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が・・・。あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか・・・。子供たちも混乱しているみたいで・・・・」

その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。

「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」

一瞬にして全てが変わった。

 

多くの人々は病気や災害に直面して物事の優先順位が突然に変わってしまうようなときや、夫、妻。親。管理者、あるいはリーダーといった新しい役割を引き受ける時、こうした基本的な考え方の転換を経験する。個性主義というパラダイムを持って行動や態度を変えようとして、何週間、何ヶ月、何年もの時間を費やしたとしても、物事が違って見えるときにが起こる一瞬の大きな変化には比べようもないだろう。日常生活の小さな変化を望んでいるのであれば、行動や態度に働きかけるのが適当であろう。しかし、著しい変化を遂げたいのであれば、パラダイムを変えなければならない。

ソローの言葉を借りるなら、「悪の葉っぱに斧をむけ千人いても、根っこに斧をむける人はひとりしかいない」ということである。生活の中で大きな変化を遂げようとすれば、行動や態度という「葉っぱ」に心を奪われることなく、その行動や態度の源であるパラダイムといて「根っこ」に働きかけなければならないのだ。

WEBマーケティング 目標に向かって 10/25

パラダイム」という言葉は、

私がこの本を手に取った時とは違い、

今では耳慣れて頭の中で翻訳しなくても

イメージができる言葉になっている。

説明しなくても理解できる言葉になった。

 

本当に行動を変えるには、

意図する行動につなげられる、

意図する行動ができるまで昇華するには、

精神的なエネルギーが必要だと思う。

条件反射のようにはいかない。

誰かに指示を与えられただけではできない。

個性主義的な深度ではできない。

パラダイムシフトが必要。

 

永続的な幸福と成功を支えるための

7つの習慣を身に着けるには、

7つの習慣を本当の意味で理解するために

自分の持つパラダイムを理解し、

転換させる方法を知らなければならない。

 

まずは、何物にも左右されない事実そのものを本当の意味で理解する。

 

より客観的で、完成されたものの見方ができるようにする。

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ)

見方が変われば世界が変わる

7つの習慣は、効果的に生きるための基礎的な原則に基づいている。この「7つの習慣は」人格主義に基づいた一時的なものだ。これらの習慣を身に着けることは、永続的な幸福と成功を支える基本的な原則を自分の中に深く内面化することである。

しかしながら、この「7つの習慣」はを本当の意味で理解するには、まず自分たちのもつパラダイムというものを理解し、そしてそのパラダイムを転換させる方法を知らなければならない。パラダイムという言葉は、ギリシャ語に由来している。もともとは科学用語として使われていたが、最近では、モデル、理論、知覚、既成概念、仮定、あるいは一定した見地をさすことばとして広く使われている。もっと一般的に言えば、パラダイムは世界を見る見方であり、私たちの認識、理解、解釈を決めるものである。

人格主義と、個性主義のいずれもが、社会的パラダイムの一例である。

ここではパラダイムを簡単に理解するために、地図に喩えて考えてみることにしよう。地図と、地図の示している現実の場所そのものとは、同一でない。地図は現実のいくつかの側面を表現しているにすぎない。パラダイムはそれと同じようなものだ。つまり、パラダイムはある現実についての理論、説明、またはモデルのことである。

例えばシカゴに行く際、シカゴの道路地図を持っていれば、とても役立つだろう。しかし、その地図が間違っていたとしたら、どうなるだろうか。シカゴという表題の付いている地図が、実は印刷ミスでデトロイトの地図だったらどうなるか。目的地に向かうときのいら立ちや効率の悪さを想像することができるだろうか。

そうなると、先ずは自分の行動を振り返り、改善しようとするだろう。例えば、もっと熱心に目的地を探し、二倍の速度で走り回るかもしれない。しかし、そうした努力の結果はと言えば、間違った場所に二倍の早さで辿り着くだけである。あるいは、自分のとってきた態度を反省し、改善しようと試みるかもしれない。つまり、前向きに考えるという事だ。この場合も目的地には結局辿り着けないが、それは一向に気にならない。なぜなら、その場所がどこであっても、積極的でプラス思考になっているので、満足できるからだ。しかしながら、依然として道に迷っていることには変わりない。根本的な問題は、行動や態度とは何ら関係ない。全ては地図が間違っていることに起因しているのである。

シカゴの正しい地図を持っていれば、熱心に行動することが大切になる。あるいは、途中で何らかの事故に遭った時には、取るべき態度が非常に重要なものになるだろう。しかし、何よりも重要な第一の条件は、地図が正確だということである。

人はみなそれぞれの頭の中に様々な地図(パラダイム)を持っている。こうした地図は、二つに大別できる。現実を映し出す「物事のあるがままの姿」を描いた地図と、自分の価値観を映し出す「物事のあるべき姿」を描いた地図である。私たちは。あらゆる経験で、こうした地図をもとに解釈している。これらの地図が正確かどうかを疑うことはめったになく、そうした地図を持っていることすら意識することは稀である。私たちは、たんどゅんに物事は「こうだ」あるいは「こうであるべきだ」と思い込んでいるだけである。そして私たちの行動や態度、考え方そのものも、こうした地図から生じている。

 

話を進める前にここで一つの興味深い経験をしていただきい。まず、十八ページの絵を数秒間見てほしい。次に二十ページの絵を見て解説してみてほしい。女性の顔が見えるだろうか。彼女はいくつくらいで、どのような感じの人で何を身に着け、どのような生活を送っているように見えるだろうか。

おそらく、若くて愛らしい鼻をつんとそらせた華やかな生活を送っている美人だと感じたことだろう。デートに誘いたいと思うかもしれない。あるいは、広告のモデルとして採用したいと考えるかもしれない。しかし、「それは間違っていますよ」と言われたら、あなたはどう感じるだろう。この絵に描かれているのは、「悲しげな老婆で、花が大きく出っ張っていて、とてももでるにはなれそうもない女性ですよ」と言われたら、どう思うだろうか。「デートに誘うより横断歩道で手助けが必要な相手だ」と言われたら、あなたはどう思うだろう。

どちらが正しいのだろうか。もう一度に十ページの絵をみてほい。年取った女性が見えてきただろうか。もしできるなら、この絵を前にして、直接あなたと話し合ってみたいところだ。そうすれば、あなたの見ている女性のイメージを説明してもらえるし、私の見ている女性像もあなたに説明することができる。そして、お互いに相手の見ている女性の姿がはっきりわかるようになるまで、コミュニケーションを続けることができるだろう。

しかし、残念ながらそれは不可能なので、四十九ページを開いて、そこに描かれいいる絵をじっくりと観察していただきたい。そのうえで、もう一度二十ページの絵をみてほしい。今度は老婆の姿が見えるだろうか。ここでそに老婆の姿が見えなければ、話が先に進まないので、ぜひ見えるようにしていただきたい。

 

私がこの演習を初めて受けたのは、大学院せいとして、ハーバード・ビジネス・スクールの講義に出席していた時だった。教授はこの絵を使う事で、二人の人間が同じ事実を見ながらも違う意見を持ち、しかも、その両方ともが正しいことがあり得るという事実を、衝撃的かつ鮮明に証明して見せた。これは論理的というより、心理的なものである。

教授は絵の描いたカードをたくさん持ち込んできた。半数のカードには十八ページの若い女性の絵が描かれており、残りの半数には四十九ページの老婆の姿が描かれていた。学生の半分に若い女性の絵を配り、残りの学生には老婆の絵を配布した。それから、そのカードを10秒間見るように指示し、カードを回収した。次に、両方のイメージをを合成した20ページの絵を画面に映し出し、クラス全員にその絵を説明するように指示した。最初若い女性のカードを見せられた学生のほとんどは若い女性の姿しか見えなかったし、老婆のカードを渡された学生の方は老婆しか見えなかった。

それから教授は、それぞれ異なった絵を見せられた学生たちに、自分たちの見ているイメージを相手に説明するように求めた。話し合いの過程で意見が激しくぶつかった。「敏氏よりなんて、どういういまだ。せいぜい二十歳か二十二歳だよ」

「冗談言うなどう見たって七十歳か八十歳だよ」「おまえどうかしてるんじゃないか。目が見えないのか。彼女は若いし、美人じゃないか。デートに誘いたいぐらいさ」

「美人だって?婆さんじゃないか」

話はへうこうせんをたどりかみ合わなかった。二組の学生がそれぞれ自分たちの方が正しいと確信していた。皆、他の考え方が存在するという事を知らされていたのも関わらず、相手の見地から絵を見ようとする学生はほとんどいなかった。

発展性のない議論がしばらく続いてから、一人の学生が立ち上がり、絵の中の線を指して「これは若い女性のネックレスだ」と言い出した。すると、もう一人の学生が、「違う。それは婆さんの口だ」と応じた。お互いの相違点を冷静に話し合ってみると、両方の意見が重なりあい、学生たちは次々と。認識の転換を経験することになった。冷静に具体的なコミュニケーションをすることで、教室にいた学生は皆、相手の意見を理解するに至った。しかしながら、その絵から一度視線を外し二田日視線を戻すと、十秒間の条件付けを受けた元の姿を見てしまうのだった。

この演習は、私たちの私たちの生活や人間関係のあり方について実に多くの事をおしえてくれるものである。

先ず、経験によって受ける条件付けが私たちの知覚やパラダイムにどれ程強烈な影響を与えているかを示している。ほんの十秒の条件づけでさえ、これほどまで強く私たちの見方に大きな影響を与えているとすれば、今までの人生で受けてきた条件付けには、どれほど巨大な影響力があるだろうか、家族、学校、会社、友達、宗教そして個性主義などの社会通念、そしてすべてが無意識のうちに私たちに影響を与え、私たちのものの見方パラダイム、頭の中の地図の形成に作用しているのだ。

この演習から、パラダイムが、私たちの行動や態度の源になっているということも分かる。自分のパラダイムと合わないことを正直な気持ちで行うことはできない。自分の見方と一致しない行動や言葉をもって、イっ歓声と誠実さを保つことは不可能である。例えば、先ほどの合成した絵を若い女性と見ていたなら。彼女が駅の階段を昇ろうとしているとき、手を貸そうとは思わないだろう。逆に老婆と見ていたなら、手を貸そうと考えるかもしれない。彼女に対する行動や態度は、彼女に対する見方と一致していて当然なのである。

ここで、個性主義の大きな欠点のひとつが浮き彫りにされることになる。それは、行動や態度の源であるパラダイムを見つめることなく、表面的な行動や態度を変えようとしても、長期的にみてほとんど意味がないということである。

この演習から得られるもうひとつの教訓は、周りの人たちとの接し方もパラダイムによって決まるということだ。自分は客観的、かつ正確に物事を見ているつもりでも、他人もまた鮮明活客観的に全く違った見方をしている。「立場はその人の立っている場所によって異なる」ということである。

人は、物事をあるがままに、つまり客観的に見ていると思い込んでいることが常である。しかし、私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままに(条件付けされたままに)世界を見ているのだ。物事を説明しようとすると、それは結果的に自分自身、自分知覚、自分のパラダイムを説明しているにすぎない。そして、自分の意見に相手が賛成しないとなれば、すぐにその人が間違っていると思ってしまう。しかし、この演習から学べるように、せいいがあり、かつ知力に恵まれている人立ちでも、それぞれの経験というレンズ( パラダイム)を通して、同じ事実に対して異なる見方をするのである。

これは、事実が存在しないということを意味するのではない。演習の中で違う条件付けを受た二人が合成した絵を一緒に見る場合、その二人が同じ事実を見ているのだ。すなわち、黒い線と、白いスペースを見ているのである。二人ともこの事実を認めるが、その事実をどう解釈するかは過去の経験によって決まるということなのだ。そして、事実そのものは、この解釈を抜きにすれば何の意味もなさない。

自分持っているパラダイムとそこからもたらされる影響を意識すればするほど、自分のパラダイムに対する責任がとれるようになる。つまり、自分のパラダイムを現実に擦り合わせ、ほかの人の意見やパラダイムに耳を傾け、より客観的で完成されたものの見方ができるようになるのだ。

WEBマーケティング 目標に向かって 10/22~23

「人の成長も人間関係も自然のシステムであり、農場の法則が支配している」

という言葉が、とてもふに落ちた。

納得し、共感できた。

蒔いたものしか刈り取れない、ごまかせない、という事だ。

 

信頼という土台が無ければ、永続的に成功することはあり得ない。

本当の誠実さや人格の良さが無ければならない。

 

意識していなくても、それは常に周りに発信され続けている。

 

自分のあり方を、常に自分自身に問い続けていなくてはということ。

 

ごまかすことなどできないのだ。

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ)

真の成功とは

この息子との経験、近くに関する研究及び成功文献の調査は、全て私の頭の中でつながった。私は悟りの目が開かれるという人生で数すくない機会に恵まれ、個性主義の持つ強烈なインパクトを理解することができた。そして何年にもわたり、様々な場面にコンサルティングを行ってきた際に、私が教えてきたことや私が効果的だと確信していたことが、そういった流行の考え方と相いれなかった理由もはっきりと知ることができた。

個性主義の各要素(個性の発揮、コミュニケーションのスキル、他に影響を及ぼす戦略、前向きな姿勢など) は成功するのに必要が無いと言っているのではない。確かにそれなりに必要だと思う。しかしそれらは一次的なものではなく、二次的なものである。私たちは、前の世代が作り上げてきた土台の上に自分たちの成功を築くことを繰り返してきた結果、土台そのものを築く大切さを忘れてしまったのだろう。あるいは、種をまかずに長年刈り入れを続けてきたせいで、種を蒔く必要性を忘れてしまっているのかもしれない。

自分の人格に基本的な欠陥、二面性、あるいは不誠実さを持ちながらテクニックや手法だけで人を動かしたり、仕事をさせたり、士気を高めようとしたりすれば、長期に於いて成功することはできない。いずれは、その二面性によって相手に不信感が生まれるからである。いくら人間関係を改善させるテクニックを使ったとしてもそれはすべて相手を操ろうとしている行動にしか見えない。信頼という土台が無ければ、永遠に成功することはあり得ない。基礎となる人格の良さがあってはじめてテクニックが生きてくるのだ。

だから、テクニックだけに集中することは、学校で詰め込み式の勉強を繰り返し、中身を丸暗記しようとするようなものである。その場限りであれば、やっていけるかもしれない。時には良い成績を取ることもあるだろう。しかし、日々勉強を積み重ねるしいうしかるべきプロセスを怠れば、真の意味で学習課題をマスターすることはできないし、「教養ある人間」になることもない。

農場で場当たり的な詰め込み主義で作業することの愚かさを考えたことがあるだろうかーーー春に種蒔きを忘れ、夏に遊び惚けて、秋になって収穫を得るために必死になって頑張るーーー。農場は自然のシステムである。必要な勤めを果たし、作業を行わなければならない、蒔いたものしか刈り取ることはできない。そこに近道はない。

人の成長や人間関係においても、最終的にはこの検束が必ず作用することになる。つまり、人間の成長も人間関係も自然のシステムであり、農場の法則が支配しているのである。

学校のような人工的な社会システムの中では、ゲームのルールを学べば、短期的にはごまかすことができるかもしれない。そしてまた、単発的、短期的な人間関係であれば、同じように個性主義を利用し、その人の趣味にあたかも興味があるふりをし、テクニックや殺し文句、流行りのファッションなどを使い、良い印象を与えることは可能だろう。また、手っ取り早くそうしたテクニックや手法を身につけて、活用することもできるだろう。しかし、長期的な人間関係においては、こうした二次的なものだけでは何ら永続的な価値を生み出すことはできない。あなたに本当の誠実さや人格に良さがなければ、人との関係において大きな問題に直面したとき、あなたの本当の動機が表面に現れその結果、人間関係が壊れ、それまで得ていた見せかけの「成功」を失ってしまうことになるだろう。

表面的な成功(才能などに対する社会的評価) に恵まれた人の中でもこうした真の成功(優れた人格を持つこと) を達成していない人もいる。しかし、遅かれ早かれ。このことは、その人の持つ長期的な人間関係のすべてーーー仕事仲間、夫、妻、友人、大きな悩みを抱えている子供などーーーにおいて、表れてくるだろう。人格は言葉よりはるかに雄弁だからである。

これは誰でもが知っていることである。私たちには、人格をよく知っているがために絶対的に信頼をおいている相手が必ず存在するはずだ。その人が雄弁であろうがなかろうが、人間関係がうまくいくテクニックを知っていようがいまいが関係なく、私たちはその人を信頼して、一緒に働くことができる。

ウィリアム・ジョージ・ジョーダンはこう表現している。

「あらゆる人の手の中に、善又は悪を行う巨大な力が委ねられている。それは、その人の人生そのものが周りに与える影響そのものである。どう見せかけるかではなく、本当のところ、あなたはどうあるかが常に周りに発信し続けているのだ」

 

WEBマーケティング 目標に向かって 10/16~18

他に影響を与えて得られるものは少なく、

自ら内面に本質を求めることで得られるものは大きい。

本質を見極め、見抜く力を身につけたい

そして間違っていると気付いたら改める勇気を持つことも

 

著者が息子の成長から学んだこと

著者は、成功に関する論文を調査する過程で、

それまで親である著者夫妻が

息子に対してとっていた言動や行動は、

 

表面的なHOW TO を追求することで

成功を手に入れようとする

個性主義と言われるものであって、

 

息子のためと思っていたものが、

本質的には息子の人格を否定する、

親の要望を押し付けるものであったと

理解し改める選択をした。

 

それからは、著者夫妻が自らの内面を見つめ直し、

息子自身の人格を尊重し、

愛情を持って、信じ見守ることに徹した。

 

そのことによって

周りの者からは劣っていると見られていた息子が、

内在していた可能性を開花させて具現化し、

驚くべき成長を遂げることがてきた。

著者夫妻は、人格主義が本当の成功をもたらすことを学んだ。

 

息子の成長は、素直に命がもつエネルギーからもたらされたものであり、

湧き出るものを妨げたり歪めるものが無ければ

自然に現れてくる結果であるという事だろう。

 

「自らの心を熱心に探せ、その中から命の泉が出ずるからである」

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ)

人格主義の回復

この出来事と同じ頃、私はもう一つ別の研究に取り組んでいた。それは、1776年、アメリカ合衆国の建国以来、アメリカで出版された「成功」に関する論文をすべて徹底的に調査するという研究であった。つまり自己海鮮や一般の心理学、あるいは自助努力などの分野で、何百冊という本・記事・論文等に目を通し、その中身を調べるというものであった。アメリカという自由かつ民主的な国家に生きる人々が考える「成功の鍵」の全てが私の手元にあった。「成功」についての書物を二百年分遡ってみると、その中に驚くべき傾向が隠されていることが分かった。

最近の五十年間に関する文献の内容は、自分自身の抱えていた問題や仕事で接していた人たちの心の痛みを考えると、それはその場しのぎの表面的な問題で薄っぺらなものにすぎないという事であった。これらの文献は成功するためのイメージの作り方、テクニック、あるいは応急処置的な手法を説明しているだけだったのである。鎮痛剤やバンドエイドのような上辺の症状に対応し、その問題を解決しているかのように見えるが、それは一時的なものにすぎず、その問題の基にある慢性的な原因には全く触れていない。そのため、その問題が何度も再発することになるのだ。こうしたアプローチを個性主義と呼ぶことにした。

その一方、はじめの150年間の文献は、それとは著しく対象的なものであり、人格主義と、呼べるものであった。これらの文献には、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、節制、黄金律などが成功の条件として取り上げられていた。なかでもベンジャミン・フランクリンの自叙伝は、代表的なものであり、一人の人間がいくつかの原理原則を自分自身の人格に深く内面化させようとする努力の物語であった。

この人格主義では、「成功」というような人生には、その裏付けとなる原理原則(以下、原理と呼ぶ)があり、その原則を体得し人格に取り入れる以外に、人が真の成功を達成し永続的的な幸福を手に入れる方法はないと教えている。

ところが第一次世界大戦が終わって間もなく、成功についての基本的な考え方は、急に人格主義から個性主義へと移行した。この個性主義では、成功は、個性、イメージ、行動、態度、スキルなど、人間関係をスムーズにする手法やテクニックから生まれるものだと考えられるようになった。そして、この個性主義は、基本的に二つのアプローチに分かれた。一つは、人間関係や自己PRのテクニックであり、もう一つは、積極的あるいは前向きな考え方と姿勢である。これらの哲学は、「成功は態度で決まる」「笑顔は友達をつくる」「念ずれば道は必ず開かれる」などのうたい文句で表現された。

そのほかにも個性主義の中では、明らかに人を操ったり騙したりするための方法論を展開する文献もあった。それは人に好かれるためのテクニックを使い、あたかもその人の趣味に興味を持っているかのようなふりをしたり、あるいは強制的に相手を脅したりして都合よく人を利用して人生を過ごすように勧めていたのである。

個性主義の文献の中でも、人格を成功の要因として認める文献も確かにあったが、それは人格を基礎的なものとして認識するのではなく、成功のほんの一要素として取り扱う

傾向にあった。人格主義に触れていたとしてもそれは口先だけであり、あくまでも強調していたのは、影響を及ぼすテクニック力を発揮するための戦略、コミュニケーションの手法、プラス思考などであった。

 

この研究を進めていく中で私は突然気が付いた。私たち夫婦も無意識のうちに個性主義的な解決策を息子に対して押し付けていたのだった。私たちは、子供が良い行動をしたり、あるいは、良い成績を取ったりすることで、社会的な評価を得ようとしていた。そして、そういった尺度で見るとこの息子は完全に不合格だった。つまり、良い親でいたいという気持ちが強すぎたために息子に対する気持ちゃ見方が大きくゆがんでしまっていた。息子を助けたいという気持ち以外に様々な事柄が、私たちの行動や態度に影響していたのである。

 

妻と話し合うにつれて、自分たちの人格、動機、ものの見方などが息子との接し方に強烈な影響を与えていたという事に気がついた。もともと息子を他の人と比較することは私たちの基本的な価値観に沿わないものであり、それが条件付きの愛や息子の自尊心の低下を招くものだという事は分かっていた。そこで、私たち夫婦は、自分自身に目を向けることにした。しゅほうではなく心の奥底の動機や、息子に対する見方を変えるように決意した。一歩離れて客観的な立場から彼の基本的、独自性、彼本来の価値を感じとろうと努力した。

私たちは深く考え、自らの信条を鑑み祈った。やがて息子の独自性が見え始めた。そして、彼にはたくさんの可能性が秘められていることを発見した。私たちは心を落ち着かせ、彼の邪魔にならないようにし、彼が自分の独自性を表現できるようにしようとした。

親としての極めて自然な役割は、息子を肯定し、愛し、尊び、彼の成長を楽しむことがと理解した。息子が「良い子」あるいは「できる子」であることに心の安定を求めることを止めて、自分たちの内的な安定性を育てるように努めた。

息子に対する見方を変えてみると、自分たちの中に新たな気持ちが芽生えてきた。息子を裁いたり、他の子どもと比較したりせずに、彼との時間んを自然に楽しむことができるようになった。彼を世間並みの子供に育てようとしたり、社会に受け入れられやすい形に群れ槍はめこもうとすることもやめた。そしてまた、彼に社会の持つ期待値を押し付けることもしなくなった。息子は社会生活に十分対応していける子供だと考えたので、であると考えてので私たちは他人の批判やあざけりから彼を守ることもしなくなった。

息子は守ってもらうことに慣れていたので、初めは禁断症状を起こし抵抗した。しかし、私たちは、その気持ちに理解は示したもののそれに応えようとはしなかった。「お前を守る必要はない。十分にやっていける。大丈夫だ」というのが私たちの無言のメッセージであった。

月日が経つにつれて、息子は静かな自信に満ちはじめ、自分のペースで花を咲かせた。社会的な基準からしても。学校においても、友達の関係人おいても、そしてスポーツに於いても目を見張るほどの成長を見せた。それは通常考えられる成長の速度をはるかにしのぐ急ピッチなものであった。何年か経ち彼はスポーツでは州のベスト・プレイヤーに選出され学校ではクラス委員に選ばれ、非の打ちどころの無い成績表を持ち帰るよ占った。そしてまた、だれとでも気さくに明るく接することができるようになった。この著しい成長は、単に周囲の要求に応じようとした努力の結果ではなく、息子が自分の本来の姿を率直に表現した結果だと確信している。

この経験は私たち夫婦にとって、ほかの子どもたちへの対応の仕方やまた生活上の様々な役割を果たすうえで大変貴重な勉強になった。成功を収めるための「個人主義」と「人格主義」の相違をきわめて深いレベルで意識させられたのである。聖書にはその時の私の気持ちを見事に表現している言葉がある。

「自らの心を熱心に探せ、その中から命の泉が出ずるからである」

WEBマーケティング 目標に向かって 10/15

ここに登場した

ピグマリオン効果とは、

 

動物実験で同じ能力のネズミを

一方「優勝なネズミ」といって渡されたグループと

他方「能力の低いネズミ」と言って渡されたグループの

実験結果に差が出たというもので

 

ネズミに対する意識 ( 知覚 ) の違いが

その扱い方に現れてネズミに伝わり、

実験結果に影響が出たと推定された。

 

私なりに

ピグマリオン効果を次のように要約した。

 

知覚が自覚の有無にかかわらず、行動に現れ、対象へ伝わり、状況に影響を与える。

 

著者は自分の息子の一人が、スポーツや学校の成績が劣っているという現状を改善しようと様々な努力をしていたが、現状を変えることができずにいた。

 

息子に対する働きかけに効果がなかった原因は、

表面的には息子を改善させようとしていたが、

実際の言動や行動が

本質的には

息子は劣っている

という著者の知覚から発信されていたためだと気づいた。

行動は内面から生まれる。

内面の本当の姿を見抜く必要がある。

 

その見方そのものを変えない限り

そこから生まれる行動は変わらないし、

対象になる人へ伝わらず

状況を変えることができない。

 

状況を変える←自分を変える←自分の知覚 ( ものの見方そのもの ) を変える

 

自分自身の本当の知覚が、

目的や理想と一致するようにすれば、

そこに向かっていく行動につながり、

目標や理想に到達することができる。

という事になるのだろうか。

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ)

正しい生き方なくして真の成功はあり得ない
( 続き )

数年前のことになるが、私と妻のサンドラも同じような問題を抱えて苦労していた。

それは息子の一人が学校にうまく適応できず、成績がかなり落ち込み、試験で良い成績を取るどころか、回答の記入の仕方さえ理解できなかったからである。人と接することにおいても未熟で、周りの人間を困惑させることがしばしばあった。そのうえ、背が低く、やせっぽちで、野球をすればボールが来ないうちにバットを振ってしまうほどスポーツの苦手な子供だった。そんなことで回りの子供たちからも笑いものにされていた。私たちは何とか子供を助けたいと必死になっていた。なぜなら、私たち夫婦にとって成功したいと願う大切な分野がひとつあるとするなら、それは親としての成功だと強く感じていたからである。自分たちの態度や行動にも注意し、彼が前向きになるように励まし、彼の行動を改善させようとした。「頑張るんだ、絶対にできる、できないわけがないじゃないか。バットをもう少し短く持って、ボールをよく見るんだ。いいか、ボールがもっと近くに来てから振ればいいんだから。」

そして少しでもうまくできたときは、彼が自信が持てるように一生懸命に励ました。

「いいぞ、その調子で頑張れ。」

他人が笑おうものなら私は「放っといてくれ。からかうんじゃない。頑張っているところなんだから」と激しく怒った。そのつど、息子は心を泣き出し「じぶんにはできない、野球なんか大嫌いだ」などと言い張っていた。

すべてがこのような状態であり、私たち夫婦は心を痛めていた。息子が完全に自信を失くしていることも一目瞭然だった。私たちは彼を支え、手伝い、助けようと努力したが、失敗を重ねるばかりだった。やがて、私たちは一歩さがって違う観点からこの状態を見つめることにした。

当時、私は仕事の関係での様々な企業に対してリーダーシップを指導していた。その一つとして二か月に一度、IBMのマネージメント能力開発セミナーで「コミュニケーションと知覚」というテーマで講義していた。

その講義の準備を通して、私は、知覚やモノの見方が人の行動にどんな影響を与えるかについて、強い関心を持つようになった。そしてそれを調べるために、私は期待効果の理論や自己達成予言、心理学て言う「ピグマリオン効果」を研究することになった。

その研究を通して、私はあることに気が付いた。つまり、私たちは、物事をありのまま見ているつもりでも、実はある種の「レンズ」を通してみているということであった。そして、そのレンズこそが私たちの世界観を作り出し、私たちの全ての行動を方向づけているのだ。

IBM社で教えていたこれらの概念について妻と話し合い、そして、自分たちの直面している状況に置き換えてみた。すると、息子を助けようとして行っていたことは、息子に対する私たちの思いと一致していないことが分かった。私たちの心の奥底に、「息子は基本的に劣っている、あるいは何かが足りない」という意識があることが浮き彫りになってきたのである。

だから、どんなに自分たちの行動や態度に働きかけようとしても、結果的にその努力は報われなかった。私たちの表面的な行動や言葉をどう変えてみても、彼に実際に伝わっていたメッセージは「お前にはできない。だからお前を守る必要がある。というものになってしまっていた。

状況を変えたければ、先ず自分たちを変えなければならないということを悟った。そして、自分たちを結果的に変えるには、先ず自分たちの知覚、ものの見方そのものを変える必要があった。

 

WEBマーケティング 目標に向かって 10/14

 

 

最近スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」の本の名前を

立て続けに何回か聞いた。

 

これは27年程前、会社で英会話の特別実習を受けていた時に

韓国系アメリカ人の講師の方から紹介され英文で読んでいた本だった。

英文を読んできて、議論するといった実習だったと思う。

 

もちろん、川西茂/訳の本も購入して並行して読んでいた。

 

偶然が重なったので、この機会にブログに書き写しながら読み返そうと思った。

仕舞いっ放しになっていたので、

ずいぶんシミだらけになってしまっているが、

捨てずに取っておいてよかった。

 

切りの良いところで区切りながら

感想も一緒に投稿していきたい。

 

スタートしてみて、

最近老眼になってから文字をあまり読んでなかったので、

読書もしてみるものだと、

なにか心に響くものがあった。

 

他の評価の高い人の判断を知るのも良い事だと改めて思った。

 

最初に目に飛び込んできた小見出し

「正しい生き方なくして真の成功はあり得ない」だ、

もう読むしかないでしょう。

 

会社で読んでいた時は、ただの教材として受け止めていたのかと反省。

 

「あなたも経験したことがあるかもしれない。」と言われる問題は共感するものも多く、でも野放しにしてきた。

 

年を重ねて経験が少しづつ人格を変えていることは実感していたが、

人の深いところにある人格を変えるというのは、

一朝一夕にできるものではなく、

地中深く眠っている壊れやすい化石を掘り出すがごとくといった感がある。

 

今この環境でそれをしようとしている。

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ)

正しい生き方なくして真の成功はあり得ない

二十五年間にわたり、私は仕事を通じて企業、大学、家庭などの各場面で様々な人たちと接してきた。その人たちの多くは、信じられないほどの素晴らしい社会的成功を収めたにもかかわらず、心の安らぎや健全な人間関係に飢え渇いていた。彼らが打ち明けてくれた次のような問題は、あなたも経験したことがあるかもしれない。

 

・会社での目標をすべて達成し、企業人としては非常に成功している。しかし、私生活と家族を犠牲にしてしまった。妻や子供はもはや他人同然だ。自分にとって何が本当に大切なのか、もう分からなくなってしまった。今までやってきたことは本当にそれだけの価値があったのだろうか、と自問しているところだ。

・今まで私は何回もマネジメントやこコミュニケーション・スキルの研修を受けてきた。部下に対して大いに期待しているし、私自身も日ごろから親切で良い上司になろうと努力している。しかし、部下の忠誠心が全く感じられない。もし私が病気で休みでもしたら皆がサボるのではないか、と心配でならない。彼らに自主性と責任感を持たせる、あるいはそういうものを持っている従業員を見つけることがどうしてできないのだろうか。

・私には高校生の息子がいるが、反抗期で、ついに酒や麻薬に走ってしまった。私の言う事なんかまったく聞こうとしない。なす術が無く困り果てている。どうすればいいのだろうか。

・やらなくてはいけないことが山ほどたまっている。いつも時間が足りない。毎日毎日や朝から晩まで追われっぱなしだ。時間管理のセミナーに参加してみたし、いくつものシステム手帳も使ってもみた。しかし、それでもまだ自分が思うような充実したバランスの取れた生活はできていない。

・私は今年に入ってから五回もダイエットを繰り返している。自分は肥満だと分かっているからほんとうにやせたい。最新のダイエット法を勉強したり目標設定したりして前向きに始めてはみるが、どうしても長続きしない。数週間で元の食生活に戻ってしまう。なぜ自分自身に対する約束が守れないのだろうか。

・子供に仕事の大切さを教えたい。しかし何かを手伝わせようとするといちいち指示しなくてはいけないし、そのうえブツブツ文句を言われる。自分でやった方がよほど簡単だ。どうして子供は言われる前に自分から進んで手伝おうとしないのか。

・私は実に忙しい。しかし最近は、自分のやっていることが長期的にみて本当に意味があるのだろうかと、疑問に思うことが多い。自分の人生を意味のあるものにしたい。自分が何かの役に立っていると思えるようになりたい。

・友達が成功したり認められたりすると、私は笑顔で祝福の言葉を口にはするが、内心は嫉妬や羨ましい気持ちでいっぱいだ。なぜそのように感じるのだろうか。

・私の性格はかなり強引で、たいていの場合は自分の意見を押し通すことができる。私の案は皆にとってベストだと信じてはいるが、本当のところ周りの人はどう思っているのか不安になることがある。

・私たちの結婚生活は味気ないものになってしまった。喧嘩をするというわけではない。ただ愛する気持ちがなくなっただけ。いろんな人に相談したし、頑張ってもみたが、昔のような気持ちはどうしても戻ってこない。

 

これらはいずれも非常に痛みを伴う問題であり、しかも、根が深いため応急的な対応だけでは解決することができないものばかりである。

WEBマーケティングで叶えましょう !!! 10/12

 

高額商品を作る必要性

 

私は今起業家三年生です

定年退職してから2年間専門学校に通い

調理師の免許を取得ました。

別に料理が得意だった訳ではないのですが、

 

夕食のメインになる料理をテイクアウトで提供しています。

 

実は、それまではサラリーマンで

化学系の製造業の研究所や品質管理部で

分析業務を担当していました。

 

本当は、専門学校へ行った目的は

アロマの抽出をして

ネットで販売して、

地元の経済に貢献したいというものでした。

 

今は目的から外れたことをやっていますが、

それも良かったと思っています。

 

起業して思うこと

時々自分の年齢を忘れているんじゃないかと思います。

67歳

全く自覚がないんです。

 

ひとりで全部やっているので、

時々時間が無くて徹夜してしまう時があるのですが、

2から3日は全然平気なんですよ。

 

インターネットビジネスには、

会社員の時からとても興味があって

とりあえず今は、

実家で採れる

幻の果実と言われている

「ゆこう」を搾ってお酢にして

通販サイトで販売しているのですが

 

その畑の管理も一人でやっているのですよ。

草刈りも、畑が広くて、

今は、全部を思ったように整えられていなませんが、

一人でやっていて、

 

自然の中にいると

肉体的には疲労物質が溜まったと感じるのですが、

精神的にはとてもリフレッシュできます。

 

個人事業主なので、

青色申告もやらなければいけませんが、

税理士を付けずに自分で申告しています。

 

昨年から、

ややこしいインボイス制度が導入されましたが、

その対応も自分でやっています。

 

年金をつぎ込んでしまってはいますが、

なんとか経営が成り立っているので、

会社員の時と比較して、

ストレスがたまらなくて、

新たな事を学ぶことは、脳が活性化されます。

 

一度試してみては、と、

心からお勧めします。

 

お勧めはWEBマーケティング

でも扱う商品として

食品はお勧めしません。

利益率がとても低いからです。

単価が低いので、どうしょうもありませんよね。

 

稼ぐためには、大量に売る必要がありますが、

薄利多売は、大企業には可能ですが、

個人事業主には太刀打ちできません。

 

個人自供主で、

インターネットビジネスで

稼ごうと思っているのでしたら

高額商品が作れる

WEBマーケティングですよね。

原価がほぼかからないし、

 

広告費用と

自己投資は必要ですが・・・。

 

ちなみに、

私は今、WEBマーケティングを学んでいるところです。