他に影響を与えて得られるものは少なく、
自ら内面に本質を求めることで得られるものは大きい。
本質を見極め、見抜く力を身につけたい
そして間違っていると気付いたら改める勇気を持つことも
著者が息子の成長から学んだこと
著者は、成功に関する論文を調査する過程で、
それまで親である著者夫妻が
息子に対してとっていた言動や行動は、
表面的なHOW TO を追求することで
成功を手に入れようとする
個性主義と言われるものであって、
息子のためと思っていたものが、
本質的には息子の人格を否定する、
親の要望を押し付けるものであったと
理解し改める選択をした。
それからは、著者夫妻が自らの内面を見つめ直し、
息子自身の人格を尊重し、
愛情を持って、信じ見守ることに徹した。
そのことによって
周りの者からは劣っていると見られていた息子が、
内在していた可能性を開花させて具現化し、
驚くべき成長を遂げることがてきた。
著者夫妻は、人格主義が本当の成功をもたらすことを学んだ。
息子の成長は、素直に命がもつエネルギーからもたらされたものであり、
湧き出るものを妨げたり歪めるものが無ければ
自然に現れてくる結果であるという事だろう。
「自らの心を熱心に探せ、その中から命の泉が出ずるからである」
「7つの習慣」
第一部 パラダイムと原則について
インサイド・アウト(内から外へ)
人格主義の回復
この出来事と同じ頃、私はもう一つ別の研究に取り組んでいた。それは、1776年、アメリカ合衆国の建国以来、アメリカで出版された「成功」に関する論文をすべて徹底的に調査するという研究であった。つまり自己海鮮や一般の心理学、あるいは自助努力などの分野で、何百冊という本・記事・論文等に目を通し、その中身を調べるというものであった。アメリカという自由かつ民主的な国家に生きる人々が考える「成功の鍵」の全てが私の手元にあった。「成功」についての書物を二百年分遡ってみると、その中に驚くべき傾向が隠されていることが分かった。
最近の五十年間に関する文献の内容は、自分自身の抱えていた問題や仕事で接していた人たちの心の痛みを考えると、それはその場しのぎの表面的な問題で薄っぺらなものにすぎないという事であった。これらの文献は成功するためのイメージの作り方、テクニック、あるいは応急処置的な手法を説明しているだけだったのである。鎮痛剤や万事エイドのような上辺の症状に対応し、その問題を解決しているかのように見えるが、それは一時的なものにすぎず、その問題の基にある慢性的な原因には全く触れていない。そのため、その問題が何度も再発することになるのだ。こうしたアプローチを個性主義と呼ぶことにした。
その一方、はじめの150年間の文献は、それとは著しく対象的なものであり、人格主義と、呼べるものであった。これらの文献には、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、節制、黄金律などが成功の条件として取り上げられていた。なかでもベンジャミン・フランクリンの自叙伝は、代表的なものであり、一人の人間がいくつかの原理原則を自分自身の人格に深く内面化させようとする努力の物語であった。
この人格主義では、「成功」というような人生には、その裏付けとなる原理原則(以下、原理と呼ぶ)があり、その原則を体得し人格に取り入れる以外に、人が真の成功を達成し永続的的な幸福を手に入れる方法はないと教えている。
ところが第一次世界大戦が終わって間もなく、成功についての基本的な考え方は、急に人格主義から個性主義へと移行した。この個性主義では、成功は、個性、イメージ、行動、態度、スキルなど、人間関係をスムーズにする手法やテクニックから生まれるものだと考えられるようになった。そして、この個性主義は、基本的に二つのアプローチに分かれた。一つは、人間関係や自己PRのテクニックであり、もう一つは、積極的あるいは前向きな考え方と姿勢である。これらの哲学は、「成功は態度で決まる」「笑顔は友達をつくる」「念ずれば道は必ず開かれる」などのうたい文句で表現された。
そのほかにも個性主義の中では、明らかに人を操ったり騙したりするための方法論を展開する文献もあった。それは人に好かれるためのテクニックを使い、あたかもその人の趣味に興味を持っているかのようなふりをしたり、あるいは強制的に相手を脅したりして都合よく人を利用して人生を過ごすように勧めていたのである。
個性主義の文献の中でも、人格を成功の要因として認める文献も確かにあったが、それは人格を基礎的なものとして認識するのではなく、成功のほんの一要素として取り扱う
傾向にあった。人格主義に触れていたとしてもそれは口先だけであり、あくまでも強調していたのは、影響を及ぼすテクニック力を発揮するための戦略、コミュニケーションの手法、プラス思考などであった。
この研究を進めていく中で私は突然気が付いた。私たち夫婦も無意識のうちに個性主義的な解決策を息子に対して押し付けていたのだった。私たちは、子供が良い行動をしたり、あるいは、良い成績を取ったりすることで、社会的な評価を得ようとしていた。そして、そういった尺度で見るとこの息子は完全に不合格だった。つまり、良い親でいたいという気持ちが強すぎたために息子に対する気持ちゃ見方が大きくゆがんでしまっていた。息子を助けたいという気持ち以外に様々な事柄が、私たちの行動や態度に影響していたのである。
妻と話し合うにつれて、自分たちの人格、動機、ものの見方などが息子との接し方に強烈な影響を与えていたという事に気がついた。もともと息子を他の人と比較することは私たちの基本的な価値観に沿わないものであり、それが条件付きの愛や息子の自尊心の低下を招くものだという事は分かっていた。そこで、私たち夫婦は、自分自身に目を向けることにした。しゅほうではなく心の奥底の動機や、息子に対する見方を変えるように決意した。一歩離れて客観的な立場から彼の基本的、独自性、彼本来の価値を感じとろうと努力した。
私たちは深く考え、自らの信条を鑑み祈った。やがて息子の独自性が見え始めた。そして、彼にはたくさんの可能性が秘められていることを発見した。私たちは心を落ち着かせ、彼の邪魔にならないようにし、彼が自分の独自性を表現できるようにしようとした。
親としての極めて自然な役割は、息子を肯定し、愛し、尊び、彼の成長を楽しむことがと理解した。息子が「良い子」あるいは「できる子」であることに心の安定を求めることを止めて、自分たちの内的な安定性を育てるように努めた。
息子に対する見方を変えてみると、自分たちの中に新たな気持ちが芽生えてきた。息子を裁いたり、他の子どもと比較したりせずに、彼との時間んを自然に楽しむことができるようになった。彼を世間並みの子供に育てようとしたり、社会に受け入れられやすい形に群れ槍はめこもうとすることもやめた。そしてまた、彼に社会の持つ期待値を押し付けることもしなくなった。息子は社会生活に十分対応していける子供だと考えたので、であると考えてので私たちは他人の批判やあざけりから彼を守ることもしなくなった。
息子は守ってもらうことに慣れていたので、初めは禁断症状を起こし抵抗した。しかし、私たちは、その気持ちに理解は示したもののそれに応えようとはしなかった。「お前を守る必要はない。十分にやっていける。大丈夫だ」というのが私たちの無言のメッセージであった。
月日が経つにつれて、息子は静かな自信に満ちはじめ、自分のペースで花を咲かせた。社会的な基準からしても。学校においても、友達の関係人おいても、そしてスポーツに於いても目を見張るほどの成長を見せた。それは通常考えられる成長の速度をはるかにしのぐ急ピッチなものであった。何年か経ち彼はスポーツでは州のベスト・プレイヤーに選出され学校ではクラス委員に選ばれ、非の打ちどころの無い成績表を持ち帰るよ占った。そしてまた、だれとでも気さくに明るく接することができるようになった。この著しい成長は、単に周囲の要求に応じようとした努力の結果ではなく、息子が自分の本来の姿を率直に表現した結果だと確信している。
この経験は私たち夫婦にとって、ほかの子どもたちへの対応の仕方やまた生活上の様々な役割を果たすうえで大変貴重な勉強になった。成功を収めるための「個人主義」と「人格主義」の相違をきわめて深いレベルで意識させられたのである。聖書にはその時の私の気持ちを見事に表現している言葉がある。
「自らの心を熱心に探せ、その中から命の泉が出ずるからである」